母性とはこういうものなのか。
本当は親になりたかった。
どんなに辛くともあなたと一緒がよかった。
こればかりはわたしを選んでくれたという。
それには感謝しているが、
どうか、どうか、
この次も新しい命に巡り会えますように。
罪悪感と、痛みと、哀しみを抱いて
今日は最期の夜を眠るね。
おやすみなさい。
ネットの中を歩く
今日もあの人を探して、インターネットの中を歩く。
足跡が見つかれば、時には駆け足になり、
見つからなければ、痕跡を探そうと躍起になって足は遅くなる。
過ぎていく時間。それに気付かないまま。
そのうちに、
あの人からダイレクトに便りが届く。
そして実感する。
過ぎていった時間。今この瞬間も。
動き出す空気、歩を進めるタイミング。
日々は停滞と進展の繰り返しで
それは時間に限らず、
空気ですら共通事項なのだ。
8/28
新宿の煌々と輝くビルを眺めつつ帰路につく。
また1つのことについて諦め、
また1人の人について諦めた。
執着が有り余るのも困り者だが
かといえ無さすぎるのも困り事である。
日が暮れた後に体を包む風が気持ち良くなり始めたこの頃。
この気持ちはきっと寂しさだ。
ああ、今年も秋が来る。
オンラインの思い出
中学生の頃、
まだインターネット回線がISDNだった頃。
初めて触れたインターネットはどこまでも広大で、そのうちの一つ、チャットと呼ばれるサービスに、私はのめり込んでいった。
当時、自分の住んでいる地域以外の人との交流なんて文通が主だった。
インターネットのチャットはそれを楽々と飛び越える楽で簡単な夢みたいなツールだった。
匿名で話せるというのはメリットであり、デメリットでもあった。
余談だが、チャットを始めて間も無くHNを使うことを覚えて今に至る。私のインターネットリテラシーはここから学んでいった。
住んでいる地域の同年代の子たちと違う、別のエリアの同年代の子。その子たちと会話をする度に刺激をもらい、多くのことを教えてもらった。
インターネットのことはもちろん、聴いたことのない洋楽、聞いたこともない服のブランド、休日の遊び方、流行っている漫画、私の知らない向こうの学校の話…
今でもそれらは私にしっかりと根付いて興味の対象となっている。
その中でも、bonoとFというHNのオンラインの友だちがいて、彼ら同士はリアルでの友だちだった。mother2が好きだった彼ら。たくさんの話をした。
そしてオンラインで知り合った7年後、偶然にもオフラインで会うことができた。まさか本当な会えるなんて…感動しかなかった。それもこれも、全て発展したインターネットのおかげ。
会ってからは旧知の友人のように、当時の話をして盛り上がった。
私と彼らの関係は"旧知の友人"と呼んでも差し支えない程度の長さだが。
今では彼らのHNの意味すらわかる。
そのくらい、その後のインターネットの普及と発展で多くのことを知った。
私にとってのインターネットの起点は、
たまたま彼らだったのだ。
老人は何を思う
もう数年前になるが、とある時期だけ風俗のアルバイトをしていた事がある。
風俗の業態はデリヘル。
内勤として、電話の応対や女の子の管理もしていたことがあったが、プレイヤーとしても勤務していたことがある。
(さすがに言いにくいので対面では決してこの事を言わない)
この季節特有の生ぬるい夜の温度が肌を包んだとき、プレイヤーとしての勤務の中で印象深かったお客さんのことを思い出した。
おじさん、というよりは明らかにおじいさんのお客さんがいた。見た目は70代くらい。
わたしの勤務時間のほとんどと、割と綺麗で値段もそこそこのラブホを予約し、ラブホのドアを開けるといつでもニコニコと待っていてくれた。
おじいさんの変わっていたことといえば、いつでも部屋に入ったときから延々とAVを大音量で流していたことくらいか。場所を考えればある意味正しい行動だとも言える。
そのおじさんは、私にものを食べさせることが好きで、いつもラブホの食事メニュー(ちょっとこだわっている感じのメニュー)からガッツリ系の重い食事を5品くらい頼んではニコニコしながら「食べていいよ」と勧めてくれる。AVを大音量で流しながら。
喘ぎ声とアップになった女の子の顔を見ながら、ご飯をモリモリ食べる私。
そしてその後プレイに入るのだが、一緒にシャワーを浴びてから1.5時間くらいのフェラ。それで終了。文字にすると呆気ないが実際にやっても呆気ない。
心配になってもっとしなくていいの?と聞いたりもしたがそれがいいのだそうだ。
ご飯を食べて、楽しくお話をして、身体を楽しんで。
本人の希望であればわたしは何も言えない。差し出がましい真似はしない。
ただ、その歳になって、何を思ってこういう遊びをするのだろうかという疑問…好奇心は今も消えずにいる。
ともかく、とても優しい人だったので、そんな人に選んでもらえていい体験をしたな、っていう印象深かったお客さんの思い出でした。
余談ですがその歳でも勃ちましたよ。うふふ。
過去を置いていくこと。
いよいよ住み慣れた街を離れる時が来た。
新しい街の利便性や新居の新しさは私にとって魅力的で、この街を離れることをしばし忘れていた。
いざその事に直面してみれば、少しばかりの寂寥感を覚えてしまう。
行きつけの店が行きつけではなくなる瞬間。
ご近所が近所ではなくなる瞬間。
駅を降りて感じる冬の刺すような冷たい空気も、
ベランダに春の風がひときわ強く吹く時も、
夏の日差しをたしなめる自然がある土地も、
秋の花の香りが漂うあの小道も、
どれもこれもが好きだった。
後輩達と着替えも持たず、熱帯夜に水鉄砲ではしゃぎまわった公園も、
酔っ払いに絡まれたあのゲーセンも、
好きな人と寝たあのホテルも、
親友が住んでいたあのマンションも、
いたるところに思い出がある。
こうなってから、それらが早送りで自動再生されるのはいささかズルくないですか。
とはいえもう決めたこと。
来ようと思えばいつでも来れる距離だけれど、
次はきっと少しばかりの違いに戸惑って悲しくなるだろう。
慣れとは怖いものだ。
わたしは明日、この土地を去る。